連載コラム 新着インデックス
吾輩はいちょう樹。名前は無い!

【千年いちょうの独り言】 第五回 『あなたの入るお墓はどこにあるの?』

2014-01-21

 平成25年8月お盆過ぎのある日のテレビで、街行く女性に「貴女は嫁ぎ先の墓に入りますか?」とインタビューをしていました。
 半数の女性は「嫁ぎ先の墓ではなく実家の墓に入りたい」と答えていましたが、何故嫁ぎ先の墓には入りたくないのでしょうか?  
 その答えは、「そうです、今これを読んでいらっしゃる貴方の心に浮かんだソレです!」

 しかし人間とは本当に自分勝手にできているものですね。「インタビューに答えている奥さん!貴女がなぜか嫁ぎ先の墓に入りたくないのならば、貴女の実家に嫁いで来たお嫁さんも、貴女が実家の墓に帰って来て入ることを望んではいませんよ!」

 そんなこんなで、近頃では合同墓・特に樹林墓地などに生前予約をされる女性がたくさんおられるようです。
 それも近頃の日本の世相をよく現わしている現象なのでしょう。

 「樹林墓地」とは、墓石を建立せず桜などの樹木の根元に埋骨し年月とともに遺骨を土に還す、つまり自然に還る納骨方法です。
 墓地や納骨堂では毎年維持管理費を徴収されることがほとんどですが、「樹林墓地」では、納骨時の費用のみで以後の負担が無いケースが多いようです。

   正円寺住職代筆

【千年いちょうの独り言】 第四回 『樹木葬と樹林墓地』

2014-01-14

 多くの方々はこの言葉を区別なく使っておられるようです。
 しかし、「葬」と「墓地」とはまったく違う意味の言葉です。
 
 「葬」とは、葬儀や葬式の略語です。
 樹木葬と言えば、「木の根元に祭壇を飾り、木を神仏の代わりの本尊(信仰対象)として葬儀や葬式を執り行う」ということになります。
 木を信仰対象とする宗教があれば理解できますが、いささか意味の通じない言葉ではないでしょうか?

 樹林墓地とは、墓石などを置かず、木の根元に遺骨を埋葬する墓地という意味合いです。
 これは墓地の一つの方式として納得できる言葉です。

≪WEBサイト管理者注: このように、言葉の意味を考えるといささか変な言葉である「樹木葬」ですが、いちょうの里では、「誤用とはいえ、一般に浸透している = 一般の方が理解しやすい」という点を重視して、敢えて「樹林墓地」のご紹介の中で「樹木葬」という言葉を使っている場面があります。この点、何卒ご理解頂ければと思います。≫

 最近では、「散骨」も遺骨の埋葬(?)方法の一つとして考えられているようです。
 しかし、この方法にも問題点はあるようです。

 先ず、第一には遺族・親族の反対です。
 遺骨を海や山に撒くことに大きな抵抗を感じる方々が沢山いらっしゃるということです。

 次に、地元住民の皆様のお気持ちです。
 自分たちの生活圏には全く関係のない赤の他人がどやどやとやって来て、わが住む目の前の海に、わが住む裏山に、遺骨をばら撒き帰ってゆく。
 貴方が散骨場所に住む身ならば、両手を挙げて歓迎することができますか? 
 

   正円寺住職代筆

【千年いちょうの独り言】 第三回 『永代お預かり』

2014-01-07

 大変誤解の多い言葉です。
「寺院の墓地・納骨堂に納骨したから永代に安心だ」と考えていませんか?何が安心なのでしょう。

 先ず、皆様の頭にある「供養」には二つの種類があると考えてください。
 一つ目は形のある物理的な供養=墓や納骨堂に納骨すること。
 二つ目には形の無い供養=命日などに法要をすること。
 寺院に永代お預かりをお願いするということは二番目の法要をお願いすることで、我が家の墓守はしてもらえません。

 さらに、お墓や納骨堂もお守りをする後継者がいなくなれば、各々の霊園の規約に則り数年後には撤去されます。
 もし、後継者の絶えた墓石を永代に保存すれば数百年後には地上は全てお墓に覆い尽され、生きた人間の住む土地は無くなってしまいます。
 何千年かの歴史がある日本の国土に住む今の私たちが、こうして地上に住んでいられるのは、古い墓石を全て撤去してきたからにほかなりません。
 私達はご先祖方の墓を撤去してきたのに、自分たちの墓だけは永代に残しておこうと考えるのは余りに自分勝手ではないでしょうか。

 寺院に永代お預かりをお願いするということは、永代にわたり法要をして戴くということです。
 少子化が急激に進む近年の日本(一夫婦の出生率1.3)では、平均して三代目(孫の世代)には家系が絶えることになります。
 墓や納骨堂については、自分自身の後継者が絶える時点(孫世代)には消滅することを覚悟しておかなければなりません。

 それが心にかかる方は「合同墓」などに納骨をされることがよいでしょう。

   正円寺住職代筆

【千年いちょうの独り言】 第二回 『新年・お正月』

2014-01-01

 除夜の鐘を聞いて初詣に行く。ありふれた日本の迎春風景でしょう。
 しかし良く考えてみれば除夜の鐘は仏教行事で、初詣は神道行事です。キリスト教やイスラム教など他宗教の信者の方々から見れば、エッ!と驚く「信じられない」出来事でありましょう。

 逆の見方をすれば、だから日本人は世界各地のテロ攻撃やそれに対峙するアメリカなどの行動が本当の意味では全く理解できていないと言われるのです。
 信教の自由を保障された日本で宗教に対してどのような考え方を持つかは各自の判断としても、世界的な価値判断からすれば、信仰の違いは「よく話し合えば分かり合える」問題ではなく最終的には殺し合いでしか決着のつけようがないこともあり得るのです。
 ましてや一人の人が複数の宗教を信じるということは世界的価値判断からすれば有り得ないことなのです。
 といったようなことを本当に理解出来ないのならば、日本人は現在の世界平和にくちばしを入れることは出来ないでしょう。   

 正月にちなむ諺などを少し挙げて見ましょう。
  ◎「正月と盆が一緒に来たよう」。
  ◎「正月三日に盆二日節句一日事日半」 =休日についての諺で、事とは祭りのこと。
  ◎「正月十六日と盆十六日は地獄の釜の蓋が開く」。
  ◎「Two Sundays come together. =日曜日が二つ一緒に来る」。

 洋の東西を問わず、およそ楽しい・嬉しい諺が多いようですが、陽が当たれば日向が出来ますが、反対側には蔭が出来ることもお忘れ無く。
  ◎「めでたさも中くらいなりおらが春」。
  ◎「門松や冥土の旅の一里塚 目出度くも有り目出度くも無し」。

  正円寺住職代筆

【千年いちょうの独り言】 第一回 『師走 しわす』

2013-12-24

 経をあげるために師僧が東西を馳せ走る月〔師馳=シハセ〕からきたもの!?。四季の果てる月であるところから。トシハツル(歳極・年果・歳終)の義。などなど、辞書を引いてみればいろいろな語源・説明がされている。

 さて、江戸時代では、米・味噌・醤油などなど、晦日(月末)の支払が多く、特に十二月は大晦日で一年の終わり。落語に出てくるお話しでは、除夜の鐘がゴーンと鳴れば掛取り(集金)もお終い。掛取りも除夜の鐘の鳴る前までにと集金に走り廻る、取られる方もゴーンと鳴るまで逃げて廻る、双方ともさぞかし大変な大晦日!

『大晦日、車も廻る眼も廻る。さては車の数々は、馬車に牛車に人力車、其の他に、電車・自動車・火の車。廻はるは車・廻はらぬは首。(和田垣謙・大正時代の人)』。
 何時の世も庶民の暮らしは大変なもののようで、まるで己の様を見せ付けられた気がして思わず首をすくめてしまった人は・私自身。

『門松や 冥土の旅の 一里塚 目出度くもあり 目出度くもなし』〔一休禅師〕
 一年の計は元旦に有り。新しい年を迎えたことで気持ちも改まりなんと目出度いこと。
 しかし、私の持って生まれた寿命が、去年のお正月より一年短くなったことも確か。
 
 去年のお正月から今年のお正月まで一年の寿命を縮めて、私の何の進歩があったのかな?《反省!》来年こそは!・・・?

  正円寺住職代筆

このページのトップへ
Copyright(c) 樹木葬/樹林墓地「いちょうの里」 All Rights Reserved.